問題解決に役立つロジカルシンキング(論理思考)を基礎から学ぶ。

要求品質展開

ロジックツリー展開による要求品質設定の事例

商品開発の際にロジックツリーを用いて電子体温計の要求品質を設定した事例をご紹介しよう。

ー電子体温計の開発裏ばなしー

企業内で論理思考を活用して実際の問題解決に取組んで解決して行くという事例は多数あるが,残念ながらその大半は機密事項でありここで紹介することができない.しかし,30年以上も前のことであれば話は別だろう.企業機密に関しては時効という考え方は通用しないが,社会通念からは時効と言っても良いと考えられる実例もある.

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特許申請や商品,更には当該ホームページ(テルモ体温研究所)を通じて概要が開示されているので,電子体温計の商品企画段階で要求品質の設定に論理思考を活用した体験的事例を紹介しておこう.

当時,筆者が所属していたT社では,年間2000万本もの水銀体温計を生産し,世界各国に供給していた.水銀体温計はガラスの原料を溶融するところから,ガラスパイプを引き上げ,体温計として水銀を封入して目盛りを刻むところまで毎秒2本ほどのスピードで,自動生産していた.しかし,水銀という物質は,化合物になると特にその有機化合物が水俣病という公害問題を起こしたことでも知られており,生物にとっては毒性がある.金属水銀といえども僅かながら蒸発しており,人体に取り込む,あるいは自然界で化学変化するなどによって,条件次第では有害な作用を及ぼす危険があるとされている.現在でこそ自治体では体温計や血圧計等の水銀を回収するシステムが動き始めているが,病院内で落下して破損すれば病院の床に蓄積する,あるいは家庭から回収されずに放置される,埋め立てられるなど,世界中に分散する水銀の量は多く,責任ある製造者として拡散による危険性を危惧していたのは不思議なことではなかった.

1 すべての水銀体温計を電子体温計に置き換えよ

ある時,医用電子機器開発グループの課長を担当していた筆者は社長に呼ばれ,「3年後には水銀体温計の生産を停止する.代替可能な商品を開発せよ.」との指示を受けた.そこで計画を立て人材を集め,商品の企画からとりかかったわけであるが,まずは,商品企画の段階で具体的にどのような商品を作るべきなのかについて検討した.管理職だからと言ってマネージメントだけをやっていたわけではなく,当然ながらメンバーとしても企画・技術開発に取り組んだ.

「体温計製造工場を止める」,つまり絶えず溶融状態に保っているガラス製造の火を止めるということは,ガラスを固化させ,二度と再開することができなくなるということなのだ.「すべての水銀体温計を代替する」という条件は,世界を視野に入れると,人間ばかりでなく動物の体温測定もあり,日本国内で多用される脇下検温,女性の基礎体温測定や欧米で多い舌下検温,幼児の直腸検温など検温方式も,家庭内での用途,病院内での用途,摂氏(°C)華氏(°F)の温度表示と様々な機能や性能を考慮する必要があった.

1.1 ロジックツリー展開に基づいた要求品質の明確化

体温測定の原点となる水銀体温計

このような様々な機能と性能の体温計を電子方式で実現することにしたのであるが,機能・性能に関する要求品質は体温測定の原点とも言える水銀体温計による体温測定と対照させながら検討した.水銀体温計はガラスと水銀の熱膨張率の違いを利用して高精度で温度を測定し,最高温度表示を保持する機能を持つ,シンプルで清潔な極めて完成度の高い医療用計測器具である. 電子機器のように複雑で多数の部品を必要としていないという点でも水銀ガラス体温計脚注1)に勝る計測器具は見当たらない.

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図1: 水銀体温計

そこで,新たに開発する電子体温計は,可能な限り水銀体温計の優れた特性に近づくと同時に,水銀体温計の弱点を克服するという設計方針で臨んだ.

例えば家庭用電子体温計においては水銀体温計で長い歴史を経て形づくられて来た,次のロジックツリー(フレームワーク)で示すような一連の体温測定プロセスに沿って論理的に決定した.(プロセスをロジックツリー展開する方法に関しては「論理思考テキスト講座」第4章 論理ツリーに展開して活用する-4.2.4 要素へ分解するを参照していただきたい).具体的には各プロセスの枠組みに沿って水銀体温計と対照させながら,電子体温計であればどうすべきかといった検討を進めて行くというわけである.

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図2: 体温測定プロセスのツリー展開と要求品質

1.2 水銀体温計は何年も使える

例えば,水銀体温計には

電源が不要,従って電源スイッチが不要であり,破損しない限り劣化せず,何年も使える

という特性がある.

このような水銀体温計の優れた特性に対しては,電子体温計では

使用する時には電源が自動的にONになり,使用していない時には電源を自動的に完全OFFにして電池の消耗を防ぎ,長期に亘って使用可能状態を保つことができる

という対応で実現することにしたのである.

些細なことと思われるかもしれないが,何年も使えるということは品質保証上も極めて重要な特性である.家庭で使用する体温計を想定すると,あるとき熱が出て何度か体温を測ってから,場合によっては,次に体温を測る機会が3年後,5年度ということもあり得る.そのような場合にも水銀体温計であれば破損したり,保管場所が見つからなくなってしまうということにならない限り何ら困ったことにはならない.

しかし,電子体温計を含む多くのモバイル型電子機器では電源ON/OFF操作を必要とする電源スイッチか,または電源ON/OFF操作を必要としない自動ON/OFF機能を備えた電子スイッチが使われている.電子スイッチというのは,電子回路に常時ごく僅かな電流が流れていて,使用していない時にも電源を消費しているので,通常の電子スイッチ方式の電子体温計では長期間を想定すると肝心の使いたい時に使えなくなっているという問題がしばしば生じてしまうということになる.勿論,電池を交換できるようにしておけば済むわけであるが,自分の体験からも普通に健康に生活している限り,体温計など滅多に必要としないけれども,家庭で必要なときにいつも使えなくなっているというのでは,お客様に申し訳ないことになると考えたのだ.

電池交換という考え方には別の問題もあって,幼児が使う可能性も考慮すると容易に交換できるようにすれば誤飲の恐れが生じる.かといって交換に手数がかかればそれを承知の上で商品を選択した人でない限り,お客様によっては「頭に来る」人もいるだろう.水銀体温計の有難さを知っている人は尚更そう感じるに違いない.

リードスイッチという切り札

そこで,電源スイッチには確実に電源をON/OFFできるメカニカルスイッチに焦点をあて,ユーザーが電源ON/OFF操作を意識しないで済む方式を選択した.具体的には自然放電が極めて少ないLi電池を電源とし,体温計内部に図のようなリードスイッチを設置し,体温計収納ケースへの出し入れにより電磁的に電源を完全にON/OFFする方式である.使用に際して小型磁石を配置した収納ケースから取り出すと,磁界を抜けたリードスイッチが自動的にONとなり,表示素子が点灯して「使える状態」であることを知らせる.

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図3: リードスイッチとその基本動作原理

水銀体温計の場合は,収納ケースから取り出して水銀柱を眺め,水銀柱が高すぎるという場合には,振り下ろし操作により,使える状態に戻すということになるので,このような電子体温計の方が扱いやすいだろう.幼児でも扱える.

1.3 病院では必須の防水機能

家庭での体温測定と同様に,病院での体温測定に関しても同様な体温測定プロセスに沿ったロジックツリーを描き,類似の検討を進めた.

ロジックツリーは省略するが,病院の入院患者の体温測定プロセスを検討する中からは,例えば,水銀体温計では

洗浄・消毒が容易で,体温計全体を消毒液に漬けることも可能で,常に清潔に保つことができる

そこで,電子体温計には

シンプルで完全な密閉構造にして,全体を消毒液に浸漬可能な防水機能を持たせる

という対応の必要性を確認した.

先述のように電源スイッチを内蔵したことにより,体温計の外部には可動部分がなく,電池や感温素子をはじめ,すべての電子回路を含め完全に密閉構造とする防水機能を確保することは比較的容易であった.(当初,液晶表示器の透明窓部材はウレタンゴム製のOリングを介して体温計本体へ嵌め込み構造にしていたが,防水信頼性に難があり,後にプラスチック2色成形による窓構造に変更されている.) 電源スイッチを内蔵し,体温計本体を完全に密閉して消毒液に漬けられるという特性は病院などにおける用途としては,永年水銀体温計に慣れ親しんだ看護士さん達にとって,不可欠なものだった.

余談であるが,上記のリードスイッチ内蔵方式の採用と防水機能に着目した時点で,他社製品との決定的な差別化ができたと確信したことを憶えている.(ただし,現在は電源スイッチを内蔵しない電源完全OFF機能や防水機能を持った他の製品が登場していることは十分考えられる.)

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図4: 電子体温計と収納ケース

1.4 水銀体温計の弱点をカバーする

体温測定プロセスのロジックツリー(フレームワーク)を詳細に描いて( つまり,検討の枠組みを明らかにして),水銀体温計の場合を対照させながら深く検討を進めると,他にも様々な事柄が見えて来るようになる.例えば,水銀体温計の弱点は衝撃や部分的圧力に弱い,測定に時間がかかる,小児や高齢者では温度を読み取りにくい,暗いところでは読めないといったところであるが,電子体温計の場合にはこれらの弱点を相当程度カバーできることに気づく.

体温を正しく測るには時間がかかる

私たちが本当に測定したい体温とは身体の表面や末梢部ではなく,内部(=中核部)の温度(深部温という)である.しかし,例えば脇下の場合,体表面は元々深部温になっていないので,脇下を閉じてから身体内部の熱が伝達してきて皮膚の表面までが深部温と同じ温度になるには通常10分程度ないしはそれ以上の時間を要する脚注2)のである.水銀体温計ではそのような状態,つまり脇下表面が平衡温度になるまで待って体温を測らなければ具合が悪いのだ.

1.5 電子体温計による予測検温方式とは

そこで電子体温計では体温計の感温部が検出した,一定時間における温度差がある値を超えることによって開始され,脇下検温においては10分程度以上かかって平衡状態に到達すると想定される体温を短時間で予測表示し続けるようにした.

電子体温計の商品化にあたり導入した予測方式に関して,直示方式とともに図6を参照しながら説明しておこう.脚注3)
体温測定用電子体温計の測定方式には直示式と予測式とがある.構成上の相違点は“信号変換・処理部”の演算処理の内容にある.直示式というのは,感温素子が検出した温度を直接表示するという意味であり,測定開始時点からの経過時間t1においては温度T1を,時間t2においては温度T2をそのまま表示するものであるが,測定中に感温部が測定部位から離れた時や終了時に表示値を下げてしまわないように検出した温度の最高値を保持する機能がついているのが普通である.この機能は水銀ガラス体温計が有するものと同じである.

一方,予測式というのは測定の途中段階,たとえば経過時間がt2のとき,温度がT2になるまでの温度の変化の具合から,最終的な平衡温度Teとの差ΔTの値を予測演算してT2に加え,平衡温度Teの予測値を表示するタイプのものである.

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図5: 体温測定中の測定温度変化の様子

その平衡温度Teになるまでの温度と時間の経過は,測定開始時の体温計自身の温度と体温計感温部分の形状・熱容量,測定される人の周囲の気温,それまでの脇下姿勢や衣服の状況,汗・皮下脂肪の多寡,悪感・熱感の有無,体調・血流状態等によって大きく左右される.従って,体温計が感知している温度上昇曲線は様々で必ずしも再現するものではないにも関わらず,それでも「15秒とか30秒で予測します」というのは,あくまでも予測に過ぎず,「相応のばらつきがありますよ」ということになることを知っておかなくてはならない.口中(舌下)検温や直腸検温では感温部が比較的短時間で深部温に到達するので,大分マシになるが予測はあくまである程度のばらつきを持った予測なのである.

では,本当に脇下の平衡温度を測るにはどうすれば良いかというと,予測が終わるとブザーで知らされるが,そのまま脇下に入れておけば良い.やがて,体温計の予測値が実際の計測温度に近くなり,単なる直示式の最高温度計として機能するようになる.10分程度以上置けば平衡温度そのものということになるが,5分で止めても,30秒で予測した数値より,よりばらつきが少なく確度が高いという仕掛けになっている.

「15秒で予測」だとか「20秒検温」などと顧客に誤解を招くような商品の宣伝文句には賛成できないが,良心的な商品であれば取扱説明書には説明記載があるはずなので顧客サイドとしても電子体温計による体温測定の仕組みを正しく理解しておくべきだと思う.要するに「熱があるかないか程度の確認であれば30秒程度の予測値でも間に合う」かもしれないが,より正確に測定する必要があれば,数分から10分程度の時間をかけてばらつきの少ない測定値を使うようにすれば良いということだ.

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暗いところでも体温を測ることがある

ついでの話をもう1つ.
水銀体温計は熱が出て寝込んでいる人が,夜中に異常に体温が高そうなので心配になって熱を測ったといった場合に不都合なことが生じる.夜中であれば大抵は部屋を暗くしているので,測った体温が何度くらいなのか読み取ることができない.その点,電子体温計であれば,暗いところでも温度を読み取ることができるようにすることが可能である.当時のことを知っている人は殆どいないが,有機ELなどはまだ登場していない時代で,バックライトを使わない省電力タイプの液晶表示器では暗いところでは表示が読めないので,検温終了(体温計の検出する温度が,ある温度以上降下した)時点に超小型の豆電球を一定時間だけ点灯させるようにしていたのである.この機能が市場に出ることはなかったが,現在では暗いところでも表示が読める電子体温計が市場に出回っているようだ.

2 その他:関連技術など

以上はどちらかと言えば,ユーザーサイドから関心のある事柄に関する話であるが,メーカーサイドからは商品企画や関連技術の核心について興味を持たれた読者もおられると思うので,少しだけ簡単に触れておこう.

2.1 製品の要求品質と品質特性の設定に関して

商品開発に際し,商品企画工程において要求品質を設定して行くことに触れたが,一般に何らかの製品を開発するという場合に,その製品を購入する顧客から要求される品質特性を要求品質と呼んでおり,大枠の構成をロジックツリーで描けば下図の通りである.要求品質は更に詳細に展開され,それらの要求品質に対して,これから開発する製品では具体的な技術を含む実現見通しをつけた上でいかなる品質特性として,どの範囲まで保証するかといったことを考察してシステム設計仕様を設定するという進め方になる.ここでの電子体温計での紹介は主として製品の機能および性能に関する要求品質の一部についてのものである.

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図6: 製品の要求品質を検討する大きな枠組み

2.2 温度測定方法と温度校正について

温度を電子的に測定する方法には昔からある2種金属接点間の熱起電力差を利用する熱電対方式,温度で電気抵抗値が変化する感温サーミスタ素子を利用する方式,非接触で赤外線輻射エネルギー量を検出して温度換算する方式等がある.実用的観点からNTCサーミスタ(温度の上昇に対して電気抵抗値が減少するサーミスタ)素子による温度検出方式を採用したが,幸運にも開発メンバーの中に優れたセラミクス素子の開発技術者がいて,性能の良いチップ・サーミスタ素子を安価に自社生産することができた.通常,温度の校正には2点の温度でキャリブレーションを実施するものだが,同サーミスタ素子は製造再現性が高く(つまり,製造ロット間でサーミスタのB定数が安定的),37℃1点の校正のみで済ませることができた.

校正は一般には知られていないと思われるが,大きな空気恒温槽の中に更に正確に37℃に温度コントロールされた恒温槽を設置し,5秒サイクルで1本ずつ工程を移動する体温計基板上に置かれた温度ドリフトの全くない基準抵抗体を自動レーザトリミングして0.01℃の精度で実現している.

かくして,T社では1983年にすべてのタイプの水銀体温計を置き換えることが可能な電子体温計を発売し,翌1984年に水銀体温計の製造を全面停止した.当時既に市場にはO社やS社から電子体温計が市販されていたが,相対的に高価格だったにもかかわらずT社製品がまたたく間に体温計市場を席巻したことは言うまでもないことであった.

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日経産業新聞:新製品開発「仕掛け人」記事

しかし,ここまで紹介すると,何もかもうまく行ったように聞こえるかもしれないが,実はそうではなかった.この電子体温計の商品化当初,思わぬ落とし穴に落ちてしまったトラブルがあるので,別途1件だけ紹介しておこう.→市場トラブル解析事例

<「要求品質展開」終わり>

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脚注

1)
石坂英男,長崎利章:体温計のしくみ,バイタルサインの見かた考え方 看護Mook,No.7 205~209 1983年 脚注1)の付近に戻る

2)
町野龍一郎:臨床検温法に関する研究.日本温泉気候学会雑誌,22(4):292~318 1959年 脚注2)の付近に戻る

3)
1)に同じ 脚注3)の付近に戻る

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