リーダーによるビジョン構築

あなたの組織は進むべき方向を自覚できているだろうか.あなたの組織にはビジョンがあるか.

リーダーの役割に欠かせないビジョン構築

論理的思考が身につき様々な場面で適切に使えるようになった人は,苦労を重ねながらも多くの問題を解決することができているに違いない.問題にもいろいろな問題があるので,一概には言えないが,少なくとも問題解決に取組む組織やチームには「リーダー」的な役割を担う人がいるはずだ.問題解決に取り組んだ過程を通じて,論理的思考力だけではなく対人力や統率力などの必要性も痛感していることと思う.

既に「論理的思考補足編」問題解決力向上のための能力開発において登場したが,リーダーに欠かせないEQリーダーシップには感情の自己認識,鼓舞激励,共感,変革促進といった対人系能力が含まれている.また,「論理的思考補足編」「論理と情理」の領域に関わる論理的思考において,問題解決における「情理(思い・意思)」の重要な意味合いについても触れた.

どのような組織やチームにもそのミッション(使命)があり,組織やチームをリードする役割を持った人には,リーダー脚注1)としての役割がある.リーダーにはその役割を果たす責任と義務があることを自覚して行動しなければならない.しかし,多忙を極める今日の企業や機関の中では,ロクな教育も受けずに「リーダー」という呼称だけ付与され,組織やチームの運営を任されている“リーダー”や“長”が多いのが実態ではないだろうか.

リーダーと言えば,一国の大統領・首相,企業で言えば経営トップ・社長・部長・課長やグループ長・チームリーダー等々様々な段階のリーダーが存在するが,我が国においては何らかの経緯により“リーダー”の立場となって,せいぜい先輩を見習うくらいで,多分に「自然発生的に」ないしは「個人の流儀により」“リーダー”の役割を演じているかのように見える.

筆者の周辺でも何人もの“リーダー”を見てきたが,しっかりした「リーダー」教育を受けたと思われるリーダーは極めて少数だったと感じている.本項では論理的思考の番外編として,少なくとも「リーダー」といった呼称の付いた役割を持つ人に向けて,論理的思考を身に付けただけではリーダーの役割が務まらないということを理解いただいた上で,役割として不可欠な「ビジョン構築」の必要性と実践について,お伝えしておきたい.

勿論,自分はリーダーではなく単なる1メンバー(One of them)だという人にもそれらについて認識しておくことをお勧めする.いつ自分がリーダーという立場に置かれるかわからないからだけでなく,組織・チームの一員として問題解決に取り組むには,現代はリーダーシップの出発点となる「ビジョン構築」の理解が欠かせない状況なのだ.

ところで,現時点(2023年)で我が国政府の債務残高(借金:1,060兆円)は年間税収の16倍ほどに達しGDPの2.5倍を超えており,このままでは今後も増大を続けると見られる.言いかえれば,国家財政は実質的に破たんしている状況にあるが,本項のテーマは国家の運営といった規模の話においても同様の関連がある.しかし,ここからは,国政規模の話まで含めると返って焦点がボケてしまう恐れがあり,折に触れる程度にとどめたい.

はじめに:新たなビジョンが必要となった背景とリーダーの役割

我が国の経済および企業を取巻く環境は1990年代以降のバブル経済の崩壊後,大きく変化している.成長著しい東アジア諸国,とりわけ中国のような途上国には追い上げられ,アメリカやシンガポールのように産業を転換した国際競争力のある先進国には水をあけられている.同時に東西冷戦時代の終焉により進んだグローバル化やデジタル・IT・インターネット革命により,自動車産業などの例外を除いて,日本企業の多くの事業は単なる従来の延長では立ち行かない状況に陥りつつある.

実際,次の図に示されるように我が国の国全体としての名目GDPは,過去30年間以上もの期間にわたり,先進国の中では唯一ゼロ成長のまま停滞している.

世界各国の名目GDP推移

図1:主要成熟国家の名目GDP推移

グローバル経済圏でプレイする我が国の企業は,長期的に見て明らかに後退し続けており,その主因は事業環境や競争のメカニズムが著しく変化する状況の中で,しかるべき事業と機能を適切に新陳代謝させるリーダーシップないしはガバナンスが欠如していたからに他ならない.脚注2)

一方,実はGDPや従業員数で言えば60~70%超を占める,我が国のローカル経済圏でプレイする企業の大半は,今だに昔ながらの極端に生産性の低い,世界水準から見ても非効率なサービス産業が中心である.脚注2)ここでは本来であれば退出すべき企業が多く,規模は小さくとも競争力のある企業,従ってその経営トップには,更なる労働生産性の向上と共に,高賃金企業として退出企業の雇用を吸収し,社会・経済の健全化を担う役割が求められている.

こうした,経済圏ごとの大まかな課題方向を踏まえた上で,今や,自国市場が飽和した先進諸国の企業は顧客にとっての新たな価値創造・新しい知識創造の時代に入ったことを認識しておかなくてはならない.勿論,個々の企業が抱える課題はそれぞれ特有であり,当然ながらそれぞれの事情は異なるが,日本企業およびその組織の多くは先が見えない状況に陥っているのが実態ではないだろうか.

この状況をごく簡単に図示すると,次の図のようになる.

今、多くの企業が置かれている外的環境を正しく把握すれば、新たなビジョン設定の必要性に気づかされる

図2:外部環境変化による組織への課題

このような状況にあるときにこそ組織のリーダーの役割は重要であり,おおよそ「○○リーダー」と名のつく,あらゆる組織(機関・機構,会社,部,課,グループ,プロジェクト,チーム等)のリーダーには,ビジョン(ここでは,「組織の進むべき価値ある方向」という意味)を示し,組織をその方向に向かって前進させることが求められているのである.

1 先が見えない組織はどういう姿になるか

現在のような状況になると一体自分は,我々は,組織はどの方向に向かって進めば良いのか,どのようなことに力を投入すれば良いのか,どのような研究を深堀りして行ったら良いのか,どのような技術を磨く必要があるのかなどがわからなくなる.今取りかかっている商品は開発するとしても,その先はどうなのか,現在,組織はあるが先行き存在価値があるのだろうか,事業は成立つのかなどが見えにくくなってくる.つまり,言いかえれば皆が一生懸命に頑張っても「成果」に結びつかない確率が一段と高くなってきたということである.

このような状態のとき,組織にはどのような問題が発生するのだろうか.読者のみなさんの組織には以下のようなことが起きていないだろうか?

  • 全体としてはバラバラで,個々に環境変化に対応し,個々に頑張る姿になっている
  • 皆,一生懸命に頑張っているが,その割に全体として成果が少ない(労多くして功少なし)
  • 何らかの可能性にチャレンジする人を尊重し,思いつきレベルで思い思いの活動をするものの,いつの間にか線香花火的に消えていく
  • 全ての人が間違った方向に向かって進んでいるのかもしれないと思うことがある
  • このまま進んでも成果が得られるのかどうか疑わしいと感じることがある
  • 全ての人が現業に常に追われている,あるいは優秀な人ほど現業に忙しい

組織の状況にもいろいろあるが,事業に取組んでいる組織には,目の前の仕事というものが必ず存在するので,仕事をストップされてしまうなどのインパクトが与えられない限り,優秀な人材ほど忙しく動いているのが現実である.何が何でも実現したいという「ビジョン」に向かう強固な使命感を共有していない人々が,何に向かって一生懸命頑張るのかというと,取敢えず目指せるもの・目前課題や一攫千金の博打を狙って頑張るようなもので,組織的に見てイノベーションなど起こるわけがないのだ.妥協のないブレークスルーをなし遂げようとするエネルギーすら湧いてこないのではないだろうか.

ビジョンがなく、先の見えない組織の姿
図3:先の見えない組織の姿

関係企業から委託された業務を請負うような業態の企業においては,実施すべきことが比較的明確な場合が多いと考えられる.しかし,社員がただひたすら頑張るだけという状況に陥ると他社との競争という観点,委託元の関係企業や顧客から見た観点からは,中核となる独自の能力はあるのか,成長性・革新性や頼りがいはどうなのかなどの,懸念が次第に増加することになる.

また,変革につきものの「抵抗」を克服するには大きなエネルギーが必要であるが,何が妥当な考えであり,何を実行しなければならないかが組織として共有されていなければ,調整や根回しに慣れきった風土の中で変革など起こるはずがない.

つまり,目標・作業があっても,ビジョン・戦略がない企業・組織が知識創造の時代に成長し続けられるものではないということだ.簡単に言えば,組織のメンバーがどの方向に進むのかが共有されていなければ,組織は無駄にエネルギーを浪費し,力を結集するなど到底不可能なことなのだ.

2 何が求められているのか

困ったことになったが,こういう場合,どうしたら良いのだろうか.ベンチマーキングをするまでもなく,既に当たり前の経営の原点に立ち返ることである.それは,この企業・組織の使命は何であり,その使命を果たすためにこの企業・組織が向かって行くありたい姿(ビジョンという)はどのようなものかをもう1度,描くことから始まる.

本当は,困ったことになると気がついてからでは遅い.困ったことになる前に,先を見て次の時代を先取りできるビジョンを構築することが大事なのであるが,事業が一見うまく行っているときにうまく行かなくなっている姿というものをイメージできて,方向転換できる人が少ないので,なかなかそうは行かないようだ.まして利益が出ているときに,ずっと先の見えない姿が見えている人は稀な存在だと思う.利益が出ていて,しかも減少傾向にある場合には減少を食い止めるためのエネルギーを投入する力が働くので,先を見る・先に備えるという面がますます弱くなる可能性がある.しかし,見ようとしなければならないのである.

3 どのようなときに新たなビジョンが必要なのか

それではビジョンというものは一体どのような時に必要になるのだろうか.簡単に言えば「ビジョンはいつも必要だが,組織内外の環境・状況変化が起こりそうなとき,起こったときにはその先に進む方向を示すビジョンが不可欠である」ということになる.具体的には,先の図2に示した外的環境の変化の状況においては勿論のこと,それ以前に

<少なくとも次のような状況にあるとき,新たなビジョンが必要となる>

  • 現在までの延長線上を進むとダメになりそう
  • 変化が起こらなくても人々がバラバラな方向を向いて突っ走っている
  • あてもなく個人プレーで動いている
  • 皆がダラダラと日常を過ごしている
  • 内外環境の変化・パラダイムシフトが起こりつつある
  • 新しく組織・プロジェクト・チームが発足した
  • 組織のリーダーが交替した,構成メンバーや構造が大幅に変わった(変えた),役割・使命(ミッション)が変わった
  • 組織が新たに要素研究に取組む,大きな投資を計画する

以上のような状況下では,組織の向かう方向を示すビジョンが欠かせないと言える.

しかし,ここで注意しなければならないことがあるが,それは「組織が先ではない」ということ,つまり「組織があって,それに当て嵌まるビジョンが必要なのだ」という誤解をしないでいただきたい.本来は仮の組織のような機能が,その使命を果たす上で道標として目指すビジョンがあって,それをより高い成功確率で実現するために戦略があり,戦略の実行に適した組織構成や必要な人材というものが考えられるという関係にあるのだ.

決して,どういう方向に進むのかが見えていない,あるいは描くことができない段階で,「始めに組織ありき」で,人や組織構成を決めてしまうものではない.それはしばしば見受けられる重大な誤解の1つである.

4 ビジョンを構築するのは誰の役割か

組織にとって,ビジョンというものが必要な状況下においては,その組織のリーダーは万難を排して,望ましいビジョンを構築することに最優先で取組まなければならない.組織の向かう方向を定めるのはリーダーの役割の1つであり,「What」を考え,魅力的な「ビジョン」を構築し,変革の方向を定めるのはリーダーの最重要使命なのだ.

あるべき姿を描くこともせず,過去の失敗の経験から学び,オペレーショナルに現在の問題に対処するだけで組織に君臨している人をリーダーとは呼ばない.せいぜい,サル山のボスに過ぎない.世の中にはマネジメント能力に信頼があり,成績優秀な人材がリーダーとして任命されたものの,何年経過してもリーダーとしての役割を果たさない人達が大勢いる.「○○リーダー」という名のつく人は,まず第1に「最重要What=ビジョン」構築という使命を自覚しなければ,自分の仕事が始まらない.

「○○リーダー」の皆さん、ご自分の最重要使命を自覚しておられますか?

  • 皆さんはメンバーに向かって、偉そうに「そんな言い訳を聞きたくない」などと言うことがありませんか。
  • リーダーとしての使命を自覚しているならば、「まだ~が見えないから、ビジョンが描けない」などと「できない理由」や「言い訳」を説明している場合ではありません。
  • 皆さんはメンバーに向かって「HowではなくWhatを考えよ!」などと言うのではありませんか。そのようなことを言う前に皆さん自身が「組織の向かう方向を示すWhat=ビジョン」を考えなければならないことを自覚できていますか。
  • 皆さんは、もっと上位のリーダーから、そのように言われたことがないのではありませんか。

リーダーにはメンバーに向かって,「君がやるしかない」などと言う前に,自身が「やらねばならぬこと」があるのだが,上位のリーダーも,長い間,ビジョンを改めて描く必要のない世界で育って来たので,悲しいことに,自身が「ビジョン」を描くことの重要性や本当の意義というものを経験的にも理解できていないのである.だから,下位のリーダーにも「言い訳を言っていないで,ビジョンを描け」と言う必要性を感じていなかったというわけだ.

このあたりで,リーダーシップの根本的要素について触れておかなくてはならないだろう.

実は人類の歴史においてどの時代にも,どの社会でも,リーダーとは不安や脅威に直面し課題を抱えた大衆が答えを求めて仰ぎ見る,感情の指針としての存在だった.現代の組織においても,目に見えにくいだけで,リーダーシップの主たる要素は感情の指針としての役割なのだ脚注3)

5 ビジョンとはどのようなものか

ビジョンということばはいろいろな場面で使われているので,皆さんは良く聞くことがあるに違いない.しかし,これこそ「ビジョン」と言えるものは非常に少ないと言われている.「ビジョン・リーダー」の著者であるバート・ナヌスによればビジョンとは「実現可能で,信頼性の高い,魅力的な,望ましい組織の将来像」である脚注4)とのことである.

ここまで説明してきた,組織を取巻く内外状況との関連でビジョンの役割と戦略や組織との関係を図示すると図4のようになる.

ビジョンは組織の道しるべとなる

図4:組織の進むべき方向を示すビジョン

したがって,ビジョンというものは組織が現在から将来に向かう重要な指針を与え,架け橋となるものであり,組織の価値観,コミットメント,向上心に強い影響を与える(組織を前進させる原動力となる)機能があり,単純明快で誰もが望むような,力にあふれた(働く人々の人生に意義をもたらす)鮮明なイメージの将来像でなければならない.

更に,現在のような時代において,適切なビジョンであるならば変化への適応能力と独創性があり,差別化の原動力となる(「野心」,「独創性」,「戦略的な一貫性」が不可欠である)もので,人々を魅了し,力を与え,超一流の規範をつくりあげていて,しかも誰にも現実の仕事に繋がりが持てる実現可能な姿という条件が不可欠だと言われている.

この組織の「誰にも」というところが一層難しいところであり,組織の構造が複雑で役割の異なる雑多な機能を包含しているような場合には,ビジョンの抽象度は自ずと高くなる.一般的にビジョンは抽象的に表現されている.

6 ビジョンでないもの

世の中でビジョンだと称しているものの中には,単なる「夢」,「思い」や「願望」であったり,「理念」のようなものであったり,あるいは「目標」であったりすることが多い.間違えてはならないことであるが,ビジョンとは「予言」でも,「予測」でも,「展望」でもない(「予測」や「展望」をビジョンと誤解している企業・組織・リーダーは少なくない).

勿論,使命ではないし,「売上~億円」などをビジョンと思って掲げている企業もあるが,このような事業目標でもない,何らかの事実に基づくものでもないのだ.更に,ビジョンに真偽はない,静的なものではない,人々の行動を束縛するものでもないということである.

ここまでの説明でもビジョンを描くということがどれだけ大切であるかがわかると同時に,ビジョンを描くということが如何に難しいかということもおわかりいただけるのではないかと思う.

7 ビジョンを構築するには

ビジョンを描く(構築する)ということは,実は大変難しく,『「野心」と「独創性」,「戦略的な一貫性」を持つビジョン構築能力は非常に高度なビジネス能力である』と言われている.リーダーの皆さんが自分の役割を正しく自覚しているなら,この「非常に高度なビジネス能力」の発揮を回避することなく,まず,率先してチャレンジしなくてはならない.それができないというのであれば,組織のためにも,組織メンバーのためにも「リーダーの役割から降りた方が良い」と思うことだ.

しかし,いつでも「降りられる」ので,まず努力をしてみてからにして欲しい.必要があるのに,長い間「ビジョン」も描かずに,ただ「困った状況」の中で悶々と苦しんできたリーダーもいるに違いないが,本当は「魅力的なビジョン構築」のために苦しまなければならない.リーダーが事実上,自らの職務放棄を続けている間,メンバーは荒海の中で船頭のいない舟に乗せられているようなものであり,もっと不幸なのだということを早く認識すべきである.

ビジョンを考えるということを,わかりやすく表現すれば「あるべき姿」,「ありたい姿」そして「あり得る(実現可能な)姿」を統合してイメージするということである.ビジョン構築は先見性と洞察力から成り,それに豊かな想像力と熟慮,そして独創性に少しばかりの自信を加えて,出来上がるものである.

7.1 あるべき姿

まず,組織には必ず使命があるはずなので,自分の属する組織の使命(ミッション)を明確にしよう.企業であれば社会的使命もあるはずだ.次に「あるべき姿」であるが,「あるべき姿」を構想するということは,現在ある現実の状態を元に「できることを実施して実現する姿」を描くということではない.

こういう人々がいるから,こういう組織を考えて,こういう仕事をやるというのでは決してない.ここは非常に肝心なところである.今まで平気でやってきたように,いつも過去の振返りや経験,現状の問題点の分析から出発している限り,先を見ようと常に努力していない限り,先が見えるということはあり得ないのだ.

ずっと先の「あるべき姿」を考えようとすれば,普段から自分や組織の使命・役割と取巻く外的状況を正しく認識しているだけでなく,この先,社会・経済や技術,生活する人々など世の中がどのように変化して行くのかについても,深い関心と洞察力・構想力を駆使した自分なりの考えを持っていなくてはならないということに気がつくのではないだろうか.

7.2 ありたい姿

「ありたい姿」をイメージしようと思ったなら,まず,自分自身の価値観や人生における目標を凝視しなくてはならないだろう.多くの偉大なリーダーたちが,個人のビジョンと組織のビジョンを一致させている.リーダーや組織のメンバーは自分たちの「ありたい姿」だからこそ,誰からも無理強いされることもなく自然に「思いや夢を実現しよう」とビジョンの実現に向かって,全力でエネルギーを投入することができるのだ.

7.3 あり得る姿

そして「あり得る(実現可能な)姿」である.たとえ「あるべき姿」で「ありたい姿」であってもそれが実現不可能なものであっては,絵に描いた餅に過ぎず,実現に向かって努力するエネルギーもいずれは消え失せてしまう.

したがって「あり得る姿」とは,容易に実現可能な姿といった水準のものではなく,自ずとターゲットとするビジョン達成時期にはギリギリでも何とか頑張って実現できる姿を意味している.実現するために現状の力量が不足であっても,今後の戦略や施策によって実現できる見通しが立つか,あるいは直感であっても実現できるという信念が持てるかどうかがカギとなる.

7.4 あるべき姿・ありたい姿・あり得る姿の統合

ビジョンを構築する人は狭い組織の中だけでなく,広く世界を見渡すことも不可欠であるが,大事なことはいつも自分の立場から物事を見るというのではなく,必要な如何なる立場にも自分を置いて物事を見ることができるように,自身の視座の柔軟性を鍛えておかなければならない.

「あるべき姿」,「ありたい姿」が単なる空想でなく,組織の誰の目から見ても「あり得る(実現可能な)姿」であることに確信を持つことができて,初めてビジョンであると言えるということだ.つまり,ビジョンを構築するには理想と現実(それは組織の資源・力量・人々の能力なども含む)というような一見離れたものどうしをいつも矛盾なく統合できる洞察力がどうしても必要だということなのである.

要するに図5に示すようにビジョン構築とは,あるべき姿,ありたい姿,あり得る(実現可能な)姿を統合して構想することである

ビジョン構築とは、あるべき姿、ありたい姿、あり得る(実現可能な)姿を統合して構想することである

図5:3条件を統合するビジョン構築

あるべき姿、ありたい姿、あり得る姿を統合するとは?

図6:ビジョン構築の3条件統合イメージ

更にビジネスの世界に関係するビジョンを創造する際には,どこの組織でも通用するようなビジョンではビジネスの分野で勝利を収め長期にわたって成長し続けることが難しい.したがって,組織のコア・ケイパビリティ(中核となる独自の能力)に着目する必要もある.つまり,現在のような時代においては自組織の競争力の強化と発揮に繋がるようなビジョンが望まれるのだ.

作り上げたビジョンは適切なキーワードが大切で,必要十分でコンパクトなメッセージとして表現しておくべきである.実現しようとするビジョンを何度も何度も頭の中でイメージし,完全に自分のものにする必要がある.イメージに向かって話しをするように対峙し,何も見ないでビジュアル化できるまでイメージ・トレーニングする必要もあるだろう.

なお,「はりきり過ぎの新任リーダー」はしばしば間違えるが,これまでの組織のビジョンを否定してはならない.組織のメンバーまで否定してしまうことになる.過去の良い面を踏襲しながら,組織を前進させ続けることを約束すべきである.

7.5 自分1人でビジョンを構築できないなら

既に述べたようにビジョン構築には極めて高度な能力を必要とする.3つの条件を満たすことができていない,いい加減な“ビジョン”は「ビジョン」とは言えないので,自分1人で望ましいビジョンを描くことができるリーダーはざらにはいないだろう.しかし,自分1人でビジョンを描けなくても,リーダーは方向設定することができるので安心していただきたい.

  • 自分のオリジナルで,素晴らしいビジョンを構築できる人は稀であろう.
  • リーダーは,自分を取り巻く外的状況から,学べる点のすべてについて吸収する必要があり,主な関係者(キーパソンないしは同僚や部下たち)のアイディアに耳を傾けよう.
  • 自分のオリジナルである必要はない.主な関係者をビジョン創造プロセスに巻き込むと良い.
  • 顧客がイメージできるなら,主体的な観点で顧客の声や期待を聞くことも大いに参考になる.
  • 常識的には,ビジネスパートナーあるいは競合関係になると考えられる企業の考えを知ることも欠かせない.
  • いずれにしても,並のリーダーならいつまでも自分の乏しい力量だけでビジョンを構築しようと時間を浪費するより,構想力豊かなメンバーの力を借り,納得できるビジョンを最優先で構築すべきなのだ.

そして,「このビジョンで行こう」という最後の決断はリーダーが行うのである.それで初めて,リーダーとしての第1の使命である方向設定を実施したことになるというわけである.

8 ビジョンは構築しただけで良いのか

ビジョンは構築しただけでは「絵に描いた餅」に過ぎない.どんなに魅力的な新しい変革ビジョンがあってもリーダーがその実現に本気で取組まなければ,組識は今までと同じように振る舞うということを忘れてはならない.何故なら,例えば,超多忙な有能社員は今までと同じように目標に向かって「作業」をし続けるからである.

ビジョンは,共有化された目的(=ビジョン+コミュニケーション)と戦略的思考,権限をもつ人々,組織変革という4つの重要な事柄が統合されて,初めて実現の可能性が開かれると言われている.組織のリーダーがビジョンを本気で実現しようと考えるなら,皆がそれに向かって進むようにコミュニケートしないではいられないし,人々に必要な権限を付与し,ビジョンの実現を促進する仕掛けに有能な人々を巻込まずにいられない,旨く行っているかどうか確認しないではいられないはずだ.

8.1 本気で取組め

ビジョンを構築するのはリーダーの役割だが,ビジョンの実現に向けて本気で取組むというのも組織のトップの仕事である.リーダーの第2の使命はビジョンの実現に向けて「人々の隊列を整えること」である.そのために,リーダーはコミュニケーションが仕事と認識し,多くの人々を巻き込み,彼らに「別の未来」があることを信じさせ,共有されたビジョンを実行に移すためのイニシアチブをとる必要がある.心底重要だと思っているリーダー自身が直接コミュニケーションする必要がある.

新しいビジョンを実現するためにリーダーが行う情報発信が年に1度や2度では到底済まないのだということを認識しなければならない.リーダーはあらゆる機会を活用し,公式会議の場だけでなく会話や掲示・電子メール等あらゆる手段を駆使して,具体的な場面でビジョンと実務との関係を正しくコミュニケートすべきなのだ.

リーダーは「ビジョンと人間との間の整合性」を考えなければならない.組織に属するすべての階層にいる人や主要な外部の利害関係者が心底から組織の向かう方向を理解し,ビジョンに対する深いコミットメントを共有しない限り,リーダーの責務を全うしているとは言えない.リーダーには組織メンバーに新たな改革の方向を浸透させ,組織の文化・風土にまで深く染み込むようエネルギーを全力投入する任務があることを忘れてはならない.

8.2 手を抜くな

組織のビジョンについて,組織のメンバーが自分の仕事との関係や意味合いをイメージできているということが,リーダーにとってのコミュニケーションの目標であり,そのための努力を惜しんではならない.ビジョンは普通,抽象的なものであるから,メッセージの意味や背景を正しく伝え,本来の意味合いを理解させるためにはリーダー自身の声や説明が重要な意味を持つわけである.

組織が成熟し自律的にビジョンを実現するような状況になるまでの間は,具体的な例で示すことや現実的事例において,たとえ矛盾するように見える事例に直面した場合であっても決して逃げることなく説明し,現実とビジョンの統合に関する責任を果たさなければ,あっという間に組織メンバーに対する求心力が低下してしまう.

8.3 熱い思いを語れ

リーダーの第3の使命は「モチベーションと啓発」である.新しいビジョンに向かって突き進むときには,大なり小なりの変革を伴うものであり,変革につきものの「抵抗」を克服するには大きなエネルギーが必要である.人間に対する感受性を磨いていないリーダーには容易ではないことと思われるが,リーダーは人々の心の琴線に触れ,彼らの心の中に共鳴する「仲間意識,理想,そして自尊心」を芽生えさせることを忘れてはならない.

リーダーシップ教育の第1人者でもあるジョン・ P・ コッターは経営幹部への大規模サーベイとインタビュー調査に基づいてマネジメントとリーダーシップという機能を対比させて描いている脚注5).コッタ―による機能の対比を参考にして,リーダーとマネジャーの役割の違いに関してわかりやすく説明した次の図を参照していただきたい.

リーダーシップとは「変化に対処すること」であり、マネージメントとは「複雑さに対処すること」である

図7:リーダーとマネジャーの役割対比

ちょっと一休み

近年、在宅勤務、フレックス勤務や電子メール、オンライン会議ツールなどの普及に伴い、「朝礼」をする職場が減少傾向にあるかと思われますが、あなたの職場ではいかがでしょうか。

実態としては、「朝礼」にはいろいろなメリットが(時にはディメリットも)ありますので、多くの外資系企業を除いて、相変わらず類似の行事を実施している日系企業の職場はとても多いようです。勿論、「朝礼」の目的はいろいろで、挨拶、体操、相互連絡、意志疎通、相互理解、想いの共有、士気高揚、教育訓練、理念浸透、指示命令の徹底等と実に様々ですね。その目的はどのような人が職場のメンバーであるか、構成と人数はどうか、職場の置かれた環境、職務等、それらの状況にもよると考えられます。中には目的を見失い、マンネリ化して毎日惰性で実施しているところや毎日のように小言やお粗末な教訓を聞かされ、メンバーが閉口している職場もあるかもしれません。

リーダーやビジョンの話との関連で「朝礼」というものを捉えると、ビジョンの浸透という目的には大変メリットのある機会だということはおわかりになると思います。この機会を活用しない手はないということですね。リーダーの皆さんがメンバーと同じ目線で、想いを共有することができる良い機会なのです。どのように振る舞えば効果的なのかについて、是非ご自分でお考えいただきたいと存じます。

実は、ここでお話したいことは、組織理念だとかビジョンといった、それほど高尚な事柄ではありません。たとえば、次のような場合、あなたの職場ではどのようなことになっているでしょうか。

組織人員が100名程度以下の職場を前提として話を進めますが、マンパワー不足ぎみのあなたの職場では、派遣会社に、所定の能力を持った複数の人材を派遣していただくよう要請しています。その結果、仕事の適性等により「入れ替わり立ち代わり」という場合も含め、時々、職場にとっては新しい人が入って来ることになります。一例として、あなたの職場に最近、派遣社員のA子さんが着任したとしましょう。その際に、あなたの職場ではA子さんの派遣に関して、職場のリーダーはどの程度関与されましたか。

どのような職場でも、新しい人に対しては、一通りの関連情報や約束事・仕事内容等を説明して理解していただいた上で仕事にタッチして貰うと考えられますね。A子さんの場合もその通りだと思われますが、その過程でリーダーはA子さんと面談をされたでしょうか。面談は直属の上長に任されているというようなことはないでしょうか。そして仕事にタッチしたA子さんにとっては、気になることが残っていました。

あなたの職場の場合には、A子さんは、職場のメンバー全員に顔を合わせて紹介されたでしょうか。もしかすると組織人数が多いので、A子さんが所属するサブグループメンバー内の紹介で済ませているということはないでしょうか。A子さんの着任をうすうす理解している人もいるとは言え、紹介されていない人というのは、普通は「(“美人”の場合は別かもしれませんが)どこの馬の骨だかわからないけど、見知らぬ女性がいる」といった捉え方をするものですね。

一方、普通の人であるA子さんも「紹介もされていない人たちの傍で、勝手に仕事している」自分に居心地の悪さを感じているものなのです。リーダーという役割を認識している人であれば、そのあたりの人々の気持ちを感じる、または推し量ることができる感覚を持っていなければならないということがお分かりいただけると思います。たった一度、全員の前で紹介されたA子さんは、その日から居心地の悪さが消え、気持ちよく仕事に取り組めるようになるでしょう。

「朝礼」や「朝会」というのはとても使い道があるものですね。

9 ビジョンを実現するための条件とは

これまで述べてきた事柄をまとめると「適切なビジョンがある」,「適切に伝えられる(正しいイメージがコミュニケートされる)」,「モチベートされる」ということになる.しかし,これだけではビジョンは実現できない.更に「実行プロセスが存在する」,「実行する人々に知識・能力がある」という条件を満たさなければならない.

実行プロセスにおいては,より確率の高い実現方法を考えるということ,つまり,戦略的な取組みが必要だということだ.従来の仕組み・組識構造・組識風土を変えなければならない場合が多く,個別最適を排除し,人々に権限を与え,有能な人材を知識創造のために生かし,有用な知識をグローバルなレベルで共有・活用し,俊敏に意思決定する仕組み・組織編成が不可欠となるだろう.例えばIT・インターネットの活用やナレッジ・マネジメントの仕組みを抜きにしては成立たないと考えるべきである.

ビジョンの実現を担う人々の知識・能力に関しては,少なくとも継続的に人材を育成し,あるいは獲得しなければ条件を整えたことにはならない.これまで述べてきた本当の意味でのリーダーシップを発揮する能力と,より成功確率の高いやり方を構想できる戦略思考力・実行力はもとより,企業・組織に独自な能力を深化させるために,組織のトップは「人材育成」をトップマネジメントの仕事と位置付けて取組まなければならない.

10 ビジョン実現に沿ったマネジメントの仕組みの確立と実施

下記はビジョン・バリュー経営診断の指標(ビジネス・ブレークスルー社講義資料:経営コンサルタント 高橋俊介氏作成:より引用・改定)とされるものである.これを見て,マネジメントの領域ではどのようなことが必要になるかがわかると思う.

1)ビジョンが言葉として定義され明示されている.
2)自分の仕事での意味合いをイメージできる,それを求められる.
3)徹底しているかどうかモニターしている.
4)モニター結果をアクションに結び付けている,その仕組みがある.
5)人事評価に適合度の要素が入っている.
6)実践している人が評価されている.
7)経営幹部・組織リーダーから直接コミュニケーションが頻繁にある.
8)仕事の目的や背景が説明される.
9)経営幹部・組織リーダーや上司の行動がそれと一貫性がある.
10)自社・自組織のそれに誇りや共感を持てる.

魅力的な革新ビジョンを構築・共有し,手を抜かずに運営の仕組みを回すならば,図8に示すように,人材が育ち,やがて組識は自律的に力強く前進し始める.

ダメな組織も、ビジョンを構築することにより、生き生きと前進を開始する

図8:ダメな組織が生き生きと前進する姿

11 問いかけに答えられるか

<あなたは次の問いかけに答えられるだろうか?>

  1. あなたの組織には明文化されたビジョンがあるか.もしあるなら,それは何か.
  2. 現在まで歩んできた道をこのまま歩み続けると,10年後はどこに向かっているだろうか.その方向は望ましいものだろうか.
  3. 組織の重要人物たちは組織の向かう方向を理解しているか.そしてそれに満足しているか.
  4. 組織の仕組み,手続き,人事,報奨,そして情報システムは現在の方向性を支援しているか.
  5. 新しいビジョンと最も整合性がとれているのはどのような価値か.
  6. ビジョンにかなった業績はどのように奨励され,認知され,そして報いられるか.
  7. ビジョン実現のためにどのように組織化されているか.
  8. ビジョンに向かって前進するために,どんな新しい経営方針・運営方針が示され,効果的プロセスが展開されているか.
  9. 他にどのような能力(スキル・コンピタンシー)が必要か,そしてその種の能力は内部での開発や訓練を通して得られるものか,それとも外部から取り入れるものか.

<「リーダーによるビジョン構築」終わり>

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脚注

1)
リーダーシップには,様々なスタイルがあり,組織が置かれた環境やリーダーおよびメンバーの状況によって,適切なスタイルは異なるが,ここでは「ビジョン主導のリーダー」を念頭に置いて解説している.ダニエル・ゴールマンによればビジョン型,コーチ型,関係重視型,民主型,ベースセッター型,強制型の6つのリーダーシップ・スタイルが紹介されている. 脚注1)の付近に戻る

2)冨山和彦著『なぜローカル経済から日本は甦るのか』PHP新書 2014年 脚注2)の付近に戻る

3)ダニエル・ゴールマン,リチャード・ボヤツィス,アニー・マッキー著,土屋京子訳『EQリーダーシップ』日本経済新聞社 2002年 脚注3)の付近に戻る

4)バート・ナヌス著,木幡昭・広田茂明・佐々木直彦訳『ビジョン・リーダー』産能大学出版部 1994年 脚注4)の付近に戻る

5)例えば,ジョン・P・コッタ―著,DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部・黒田由貴子・有賀裕子訳『リーダーシップ論』ダイヤモンド社 2012年 脚注5)の付近に戻る