第1章 論理的思考の基礎:続きページ(1)→1.2 論理は演繹法と帰納法で構成される
1.1 論理学と論理的思考(ロジカルシンキング)はどう違う?
「論理学」は歴史的にも伝統的論理学の領域から現代論理学の領域まで,賢人達によって絶えず矛盾の克服にチャレンジされ続けながら発展してきている.その世界には現実を直視しながらも常に“ 厳密さ”を追求している学問という側面がある.
一方,生きて行く上での現実に立ち向かうための「論理的思考(ロジカルシンキングまたはクリティカルシンキングとも言う)」には,多くの人々が活用する思考方法という性格がある.それ故,「論理的思考」の世界は難しい命題関数や記号論理などを知らなくても,「論理学」の易しい部分だけを理解できれば活用可能なようにできている.
また,様々な問題解決に役立てられている「論理的思考」の世界は人々が広範囲な実務において活用できるように,許容度の大きい“ about ”な世界となっている.従って,「論理学」は「論理的思考」を通しても現実世界で広く柔軟に活用され,社会に大いに貢献していると言って良い.
論理的思考(ロジカルシンキング),つまり「論理的に考える」とは一体どういうことなのだろうか.この節では「論理的思考」と「論理学」のかかわりを概観しながら,「論理的に考える」ベースとなる「論理学」における2つの基本的な推論法についての感触を掴んでいただくことにしよう.次に論理学を学ぶために必要最低限の用語を理解し,その上で「論理的思考」の世界で健全な推論を行う必要性と「論理的思考」の定義までを学ぶことにしたい.
1.1.1 論理的とはどういうこと?
まず,「論理的に考える」以前に「論理的である」ということはどういうことなのだろうか.実は「論理学」の世界において「論理的」という場合と「論理的思考」の世界で「論理的」という場合には少し状況が異なる.その辺りのところから話を始めることにしよう.
「論理学」の世界ではこれから簡単に紹介する推論法のように必然的な結論を導く推論の仕方を「論理的」と呼んでいる.一方,「論理的思考」においては多少とも妥当な論理のつながりがあれば「論理的」と捉えることになる.以下,具体的な例を挙げながら,私達がどのようなことを「論理的」と見なすのかについて確認して行く.
<条件1>コップに入れた氷を暖める
<結論>すると,その氷は融ける
「氷を暖めたら,融けるに決まっているではないか」と考えるかもしれないが,与えられた<条件1>だけから,上記のような<結論>を導くことはできない.氷は融けるかもしれないが,融けないかもしれない.説明のために大気圧が常圧下の話だとして「氷は0 ℃以上の温度では融ける」ということを前提として解説する.
例えば,暖める前の氷の温度が-15℃で,暖めた後の温度が-5℃であるような場合には,「氷は融けない」ことが明らかである.しかし,暖めた後の融けた氷,すなわち水の温度が0℃を超えるような場合には「氷は融ける」という推論は正しいと言えよう.
従って,この推論の「正しさ」は「状況によって左右される」ということになる.つまり,この推論は必ずしも「正しい」とは言えないのだ.言い換えると,<条件1>と<結論>との間に何ら“ 論理のつながり”が存在しないので,この推論は正しいとは言えないことになる.
では,次であればどうか.
<条件1> コップに入れた氷を0℃以上の温度に暖める
<結論> すると,その氷は融ける
「これなら,推論は正しい」と考えた人がいるのではないだろうか.しかし,良く考えていただきたい.
「氷は0 ℃以上の温度では融ける(液体の水になる)」という知識を前提としない限り,この<結論>を導くことができない.<結論>は正しいが,推論は正しいとは言えない.
言い換えると,正しい推論には
<条件2> 氷は0℃以上の温度では融ける
<結論> 従って,その氷は融ける
というような,妥当な“ 論理のつながり”が存在する必要があることがわかる.私達は結論を導くための妥当な“ 論理のつながり”の存在に対して,「論理的」と見なしているのである.<条件1>と<条件2>をそれぞれ<小前提>,<大前提>とした次のような推論法は典型的な「演繹法(えんえきほう)推論」または「演繹法(えんえきほう)論理」と呼ばれている.
<大前提> 氷は0 ℃以上の温度では融ける
<結論> すると,その氷は融ける
ところで,この<大前提>「氷は0℃以上の温度では融ける」は,不純物の存在や大気圧などやかましいことを言わない限り,一般法則と言える事実と一致する前提であり,誰もが妥当と認める内容であろう.だが,私達はしばしば事実かどうかわからない事柄を前提にして「仮に・・・だとすれば・・・となる」といった推論や議論をすることがある.演繹法推論においては,前提の妥当性に関わりなく,推論が形式的に妥当である(妥当な“ 論理のつながり”が存在する)なら「論理的」推論となっているのである.
もう少しシンプルな表現にしてみよう.<前提>の順序は逆でも構わないので,大前提を先に記述してある.
<小前提> 氷を暖める
<結論> それゆえ,氷は融ける
いかがであろうか.今度は「0℃以上の温度」などといった前提条件は明記されていない.しかし,これで「正しい推論」なのである.「氷は暖めると融ける」という<大前提>を置く限り,この推論は正しい.
もっとおかしな「正しい推論」を示そう.次の推論において,<大前提>「氷は暖めると赤くなる」は明らかに変だ.到底,認めがたい内容である.
<小前提> 氷を暖める
<結論> それゆえ,氷は赤くなる
しかし,前提の妥当性に関わりなく,推論は形式的に妥当である(妥当な“ 論理のつながり”が存在する)ので正しく推論していることになる.「論理的」な推論なのだ.このように演繹法推論は必然的つながりを持って結論を導くのである.
「論理学」の世界ではこのような必然的な結論を導く推論の仕方を「論理的」と呼んでいる.当然ながら,「論理的思考」の世界でも立派に「論理的」である.これで,これから学ぶ2つの基本的推論法のうちの1つ,演繹法推論の特徴をある程度掴むことができた.
今度はもう1つの基本的推論法である,帰納法推論の特徴を掴むことにしよう.次のような推論は「論理的」と見なすことができるのだろうか.
<条件1> 理科の実験でビーカーに入れた氷を0℃以上の温度に暖めたら融けた
<結論> 氷は温度0℃以上で融ける
この推論にも“ 論理のつながり”が存在することを認めることができるのではないだろうか.
<条件1>も<結論>もいずれも「氷が温度0℃以上で融ける」ことに言及している.しかし,<条件1>の実験結果は,たまたまそのような結果だったと考えられなくもない.別の実験で「氷を0℃以上の温度に暖めても融けなかった」ことが確認されると<結論>は崩れてしまう.だからといって,「氷を0℃以上の温度に暖めても融けなかった」証拠を示さない限り,上記の推論を否定することはできない.
説得力はやや弱いが,多少は妥当性のある“ 論理のつながり”が存在するので,「論理的思考」の世界にいる私達は通常,このような推論に対しても「論理的」と見なしている.
では,
<条件1> 猫がネズミを捕まえた
<結論> 猫はネズミを捕まえる
この推論にも“ 論理のつながり”が存在することを認めることができる.しかし,猫にもいろいろな猫がいるので,ネズミを捕まえない猫がいる可能性は非常に高い.
子猫や体力の弱った猫はネズミを捕まえることができそうにない.従って「ネズミを捕まえない猫がいる」ことを示して,この推論の誤りを容易に指摘することができるだろう.
それでも,説得力は相当弱いが,僅かに妥当性のある“ 論理のつながり”が存在するので,やはり私達はこのような推論に対しても一応「論理的」と見なしている.
多少わき道にそれるが,ついでに例題1-3と例題1-4の違いについて確認しておこう.例題1-3の「氷というのは固体状態の水を指す」ので,どのような氷であっても,やかましいことを言わない限り,化学式H2Oという成分から成る同じ氷である.一方,「猫というのは個体や種類の異なる猫類全体を指す」ので,たった1つの事例を根拠にして<結論>を導いた例題1-4の場合は,例題1-3より説得力に欠けるのである.
より説得力を持たせるために,通常,私達は他のいくつかの事例を根拠として挙げる.<条件1>などを<前提1>とした次のような推論法は典型的な「帰納法(きのうほう)推論」または「帰納法(きのうほう)論理」と呼ばれている.
<前提2> 先日,隣家の猫がネズミを捕まえた
<前提3> テレビ映像だったが,猫がネズミを捕まえていた
<結論> 猫はネズミを捕まえる
「論理的思考」の世界では,「演繹法推論」だけでなく,「帰納法推論」に関しても結論を導くための多少とも妥当な“ 論理のつながり”の存在に対して,「論理的」と見なしているのである.
しかし,これまで見てきたように,帰納法推論においては,つねに<結論>が覆される可能性のある,大なり小なりの論拠の穴があいているのだ.上記の帰納法推論の事例においても,1つの根拠より3つの根拠の方が強力だが,本質的な事情は同じであり,必然的な結論を導いていることにはならない.
ところで帰納法推論においても,私達がしばしば行う推論や議論における仮定「仮に・・・だとすれば・・・」といったことを前提とする場合について確認しておこう.「論理的思考」では,次の<前提1>のような「仮定」を<前提>とする論理であっても結論を導くための妥当な“ 論理のつながり”の存在が認められるので,「論理的」と見なしている.
<前提2> 隣家の猫はネズミを捕まえることができないそうだ
<前提3> テレビ映像だったが,猫がネズミを恐れて逃げていた
<結論> 猫はネズミを捕まえない
これらの<前提>には事実もあるかもしれないが,<前提1>の如く「仮定」も含まれている.しかし,やはり事実かどうかわからない「仮定」を置いても,帰納法推論は可能だが,つねに<結論>が覆される恐れがあることに変わりないのだ.必然的な結論を導いていることにはならないのである.帰納法推論によって得られた結論は可能性のある1つの仮説に過ぎない.
従って,帰納法推論は「論理学」の世界では必然的な結論を導く推論の仕方ではないので「論理的」とはされていないが,「論理的思考」の世界では「論理的」であると見なしている.このあたりが「論理的思考」の世界が“ about ”に見える側面の1つでもある.
これで,「論理的思考」の世界で「論理的」ということの意味と同時に,帰納法推論に関しても,ある程度特徴を掴むことができた.
1.1.2 易しい論理学用語を知っておこう
これから「演繹法推論」と「帰納法推論」について詳しく学ぶことになるが,ここで準備として少しばかり「論理学」用語の説明をしておこう.「氷は0℃以上の温度では融ける」ということは,事実であり,正しい内容である.その場合,「論理学」では命題「氷は0℃以上の温度では融ける」は「真(しん)」であると言う.「真」は「論理的思考」においては「正しい」,「成り立つ」,「妥当である」などといった意味に対応する.
一方,「氷は暖めると赤くなる」というのは,事実ではないので正しい内容ではない.その場合,「論理学」では命題「氷は暖めると赤くなる」は「偽(ぎ)」であると言う.「偽」は「論理的思考」においては「正しくない」,「間違いである」,「事実でない」,「妥当ではない」,「誤っている」といった意味に対応する.
このように「論理学」では,今まで出てきたような文,例えば,「氷は0℃以上の温度では融ける」や「猫がネズミを捕まえた」などを「命題(めいだい)」(またはメッセージ)と呼び,命題は「真」か「偽」のいずれかに決定できなければならないものとしている.
「命題」は平叙文(記述文)の形で記述されていて,「真」,「偽」を問題にすることが可能でなければならない.だから,疑問文,感嘆文,命令文や願望・意志などを記述する文であってはならない.個人など発話者の主観や思い,あるいはそれらに基づく文は一義的に「真」,「偽」を決定することができないので,命題にはなり得ないのだ.
しかし,平叙文の内容が「意思」や「命令」など主観に関することであっても,「真」,「偽」が判断可能な事実の記述であれば,「命題」として扱える.誤解のないように例を挙げて触れておく.
・私は留学したい.
・今度の新製品は東南アジア地域で販売せよ.
・私は留学したいという意思を持っている.
・社長は今度の新製品は東南アジア地域で販売せよと指示した.
なお,「真」,「偽」が判断できる平叙文である限り,言語の種類や主語・述語の順などは問わない.
通常,日常の実務を対象とする「論理的思考」において登場する文は,必ずしも「真」,「偽」のはっきりしない命題も多い.それどころか,「論理的思考」においてはそれが事実である限り「真、偽」とは無関係な意見や思い・意志までをも扱うことになる.それ故,私達は出来る限り,「論理学」が言うところの命題に近づけるように記述(の明確化)に配慮することが望まれる.このことは大変重要なことであり,今後,随所で触れて行く.
ところで,「命題」に関してはどういうものか理解できたと思うが,「命題」を構成している主語や述語についても言及しておく必要がある.単独では「真」,「偽」を決定できないが「命題」を構成している主語(主部)や述語(述部)のように,意味を持った基本単位(単語ないしは自立語)のことを,「論理学」では「名辞(めいじ)」(または「概念(がいねん)」)と呼んでいる.
「名辞」は主語や述語に相当する単一の名詞・代名詞や動詞・形容詞・形容動詞だけでなく,修飾語(句,節)がついたことによって主部や述部に相当するようになった名詞・代名詞や動詞・形容詞・形容動詞なども含む.
氷,猫,暖める,捕まえる,温度0 ℃以上では融ける,ペットショップで購 入した猫,・・・
1.1.3 健全な推論を心がける
これまでに「論理的思考」への入り口として演繹法推論・帰納法推論の概略と用語について学んできた.その過程では<前提>に明らかに「偽」である「氷は暖めると赤くなる」といった命題や,「真」とは限らない「仮に・・・だとすれば・・・である」といった仮定命題を置いた推論についても言及した.
私達は何らかの目的があって「論理的思考」を活用するので,意識して「偽」である<前提>を置いて推論することは可能である.創造的な議論を行う上では「仮定の話」であっても決して無意味なことではない.
しかし,現実課題に対峙する私達が「論理的思考」を活用する際には,目的に合った「真」である結論を「論理的」に導くことによって,次に進むことになるわけである.
論理的思考を定義する
この辺で論理的思考の定義をしておくことにしよう.
論理的思考とは
- 事実や誰もが認める事柄に基づいた根拠によって,
- 結論に至る展開の筋道につながりを持ち,
- 目的に合った明確な結論を導出する
ための思考である.
目的に合っていない結論,「真」でない根拠に基づく結論や「偽」である結論は誰にも認めてもらうことができない.その結論の先に進むことができないのである.如何に強い思いや断固として譲れない意見に基づく主張であっても論理的に導かれた結論でない場合には,思いや意見は伝わるかもしれないが、その主張は誰からも認めてもらえるというわけには行かない.
したがって,目的を正しく認識し,<前提>には「真」となる<前提>を置き,妥当な推論を行い,目的に合った結論を導くように心がけなければならないということである.つまり,論理の妥当性に関わらず,思いや意志を優先するような特別な場合を除いて,私達は「健全な推論」を行うべきなのである.
事実または誰もが正しいと認める事柄が根拠となる
論理における<前提>は「事実」または「誰もが正しいと認める事柄」でなければならない.そうでなければ正しい推論によって導いた<結論>であっても根拠が認められないことによって,<結論>までもが否定されてしまうからである.「事実」または「誰もが正しいと認める事柄」は「真」として,推論の論拠となるものなのだ.
「事実」は,それが誤認でない限り「真」である.「誰もが正しいと認める事柄」とは,例えば<命題>「人はいつか死ぬ」など,「論理学」の言葉では「蓋然性(がいぜんせい)が高い事柄」と呼ばれているが,「論理的思考」の世界では実質上「真」と見なせる事柄という意味である.
実際上,「論理的思考」で扱う事柄はすぐには「真」であると言い難い場合が多い.
従って,帰納法推論に基づいて導いた「論理的」と言える結論を利用しようとする際には,可能な限り必要十分な<前提>となる証拠をそろえることにも留意すべきである.更に私達が推論の論拠として何らかの<前提>を持ち出す場合には,それが「事実」であることまたは「誰もが認める事柄」であることの確認を怠ってはならない.
事実と推定・解釈の相違にも注意を払う必要がある.たとえ事実に接したとしても確認できない事柄が残ることがしばしばある.その場合推定や解釈は可能であろうが,確認できていない事柄はあくまでも事実ではないということを肝に銘じておくべきである.状況証拠に基づいて推論した事柄はあくまでも「推定・解釈」のレベルであり,仮説に過ぎない.
命題を明確に記述しよう
<前提>や<結論>を記述する際には,出来る限り,「真」と言える命題に近づけるように,つまり,誤解の生じない,蓋然性の高い命題となるよう記述を明確化することが望まれる.
氷は暖めると融ける→1気圧下において氷は0℃以上の温度に暖めると融ける
猫はネズミを捕まえる→健康な,おとなの猫の多くはネズミを捕まえる
厳密性を欠く言葉の使用にも注意しよう.可能な限り定量的または比較可能な表現で記述するように努めることが望まれる.
例えば,「高いところは寒い」といった命題ではどの程度高いところなのか,どの程度寒いのかが不明である.人によっては屋根の上程度の高さと解釈する可能性も,アルプス山脈の頂上の高さと解釈する可能性もあるのだ.寒いと言っても肌寒い程度なのか,凍てつくような寒さなのかはわからない.
第1章 論理的思考の基礎:続きページ(1)→1.2 論理は演繹法と帰納法で構成される